私の父は、画家だった。
それも、山専門の画家。
正確に言えば、グラフィックデザイナー兼画家になる。
収入の多くをグラフィックデザインで稼ぎつつ、毎年1回個展を開く。という生活で、私たち家族を養っていた。
山の絵といえば、平地から山を見上げるようなものが多いと思うのだが、父は山に登り、同等の高さから山に向き合い描く。という手法を取っていた。
なので、山では水彩のスケッチを描き(写真も撮影)、自宅に戻ってからその記録と記憶をもとに油絵を制作する。
そんな風に山だけを描き続け、2004年の40回目まで毎年10月ごろ連続で個展を開いた。
41回目の個展開催を目指していたが、それは叶わず、遺作展の形で私たち家族が開催することとなった。
おっといけない。湿っぽい話になってしまった。
書きたかったのは、そういう方向の話ではなかった。
父が語った、絵の色を濁らせないためにやっていた「あること」について書きたかったのだ。
その前に、実家に飾ってある父の絵を何点か…。
特徴的なのは、山を同等の高さから捉えている独特の構図と、鮮やかな色。
この色について、父は絵描き仲間から「どこの絵の具を使っているのですか?」と、よく聞かれたという。
特別な絵の具を使わなければ、この鮮やかな色は出せないと思われていたわけだ。
でも、実際はそうではない。ごく普通の国産の絵の具(中にも海外の絵の具も少数あったかもしれないが…)を、主に使っていた。
では、なぜ、他の人がなかなか出せない鮮やかな色を出せたのか?
答えは、この写真の中にある!
写真は、先日実家に行ったときに撮影した父が使っていた絵筆。実家の二階にある父のアトリエには、描きかけの絵や絵の具などが、今もそのまま置かれているのだが、
この絵筆をよく見ていただきたい。とてもキレイだと思いませんか?
父の絵の「鮮やかな色」に関する秘密は、他言無用と言われていたのだが…
もう時効だということにして言ってしまおう。
そんな風に、もったいぶったわりには、「なんだそんなことか…」と言われそうだが、
使い終わった筆を徹底的にキレイに洗うこと。
絵の濁りの原因は、わずかに筆に残った絵の具。
そのわずかな色が混ざることで、色は濁るのだ。
父は、油で筆を洗った後、完全に色が出なくなるまで石鹸を使い流水で洗っていたのだ。
これを書いていて思い出したのが、少し前のドラマ「天皇の料理番」のワンシーン。
華族会館の料理長・宇佐美(小林薫)が、洗われた鍋の匂いを嗅いで点検するのだが、そこで、二度洗い(完全に前の料理の匂いを消すため?の厨房のルール)をしていないことに気づき、すべてを洗い直させた部分だった。
※記憶が定かでないので、内容が違っていたらすみません。
こうした少しの手間が、絵や料理の仕上がりの大きな差となって現れる。
そういえば、父はこんなことも言っていた。
「自分が感動した景色を、絵にできるのはせいぜい10%。その絵が、人の心に訴えるものは、さらにその10%程度だろう。だから自分は100倍感動しないといけないんだ…」
凡事一流。
父のことを書いていて、改めて、私が尊敬する人が、常々話されているこの言葉を思い出す。
父は、まさにそんな生き方を貫いた人なのに、この自分は…。
さっきも、夜中にアップした記事の重大な欠陥に気づき、慌てて直した。
うーーーん。まだまだだなぁ。
写真は、我が家にある父のスケッチ。地元のシンボル「吾妻山」に登る途中から、江ノ島方向を描いたもの。海を描いた数少ないものの1つだ。
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